胡桃の庭
待ち人 3
どこか子供っぽい雰囲気が彼女を清楚にしている。子
供っぽさと落ち着きの違和感が美しさになっているのか。
僕は上着を脱いでベンチにうなだれた。暑いのは嫌い
だ。いったいどうしてしまったのだ僕の美感は。僕は嫁
をいつまでも美人だから好きだと思っていたかった。い
ろいろなことを好きになったけど、少なくともロングヘ
ア美人をずっと称えていたかった。目が肥えたとか美人
に飽きたとか、そういうことなら要らない。僕はずっと
変わらないでいたかった。
雨が降ったらどうするんだろう。まさかそのまま立っ
てはいないだろう。彼女はどんな振る舞いを見せてくれ
るのだろう。僕は雨が降ってほしいとも思った。弘子は
まさか何をしても今の僕に美しく見えるのだろうか。そ
んなはずはない。きっと彼女も今が特別で、目的の男が
現れた後や、あえなかった後、それなりの弘子に変わる
のだ。一途に待つ心が美しさを支えているだけなのだ。
きっとそうだ。
「小崎君」
そう聞こえたとき、僕はうなだれたまま眠りにつくとこ
だったと気付いた。しかし、目を開けた訳ではない。夢
を見ている。でも、映像を見ているわけでもない。その
男の声は聞き覚えのある軽い声質だ。
「君は高浜が好きなのか?」
誰だろうか。しかし、誤解だ。
「違う」と言ったが、夢の中で言ってるのだから声が出
たかどうか。
「好きなら自信もってアタックしろ」
「違う、見てただけだ」
僕は寝言を言っているのだろうか。だとしたら恥ずかし
いことだ。と、思った瞬間、目が覚めた。
しばらくはっきりしない頭で眠らないようにうな垂れ
ていた。そのうち、ひとつの像が結んだ。そうだ、講師
の矢島先生だ。彼の言葉を思い出した。教室で派手なぱ
っと見に可愛い木村さんというのが居た。矢島先生は誰
にだったか、「木村が好きなのか、講義中でもかまわん
から遠慮せずにアタックしろ」と言った。あからさまに
彼女にちょっかい出して講義の邪魔になったからだった
ろう。
何で今更、思い出しているんだ、しかも、高浜弘子を
指して僕にアタックしろとは、僕の夢は何を考えている
んだ。気付かないうちに学生時代の思い出に浸ってたの
だ。
雫が手の甲を濡らした。雨が降り始めた。
弘子は降り始めた雨を恨めしく見上げていた。傘は持
っていなかった。さぁ、どうする。僕は彼女が雨宿りす
るのか帰るために駅に向かうのか、ただ立っているのか
見届けたかったから、嫁からの携帯電話に出ても上の空
だった。
「どこかまで送ろうか」なんて言えた義理じゃない。し
かも嫁さんの後ろに乗せることになるのは人待ちの彼女
にしては嫌だろう。
雨は誰もがそれとわかるように存在し始めた。
弘子が動いた。彼女は駅に向かった。あんなに待った
くせに帰ってしまうのか。待たせたやつは彼女が待った
ことを知っているのか?
本当はどうなんだ?完全な片思いなのか?だとしたら
世の中どうかしている。僕が独身だったらきっと傘を差
し出してあの美しさを身近に見ただろう。彼女の美もま
た値打ちの合わない価値として周囲から軽んじられてい
るのだろうか。
* *
その公園に来たのはさらに二日後だった。行かない日
も弘子のことを思うと、今日は会えたのかなどと気にな
った。そして、行ったらやっぱりいつもの所に立ってい
た。
枯葉色のアンティーク風なワンピースで、いかにも単
純に女性的だった。やれやれ、こう立て続けじゃあ、そ
ろそろ声を掛けて話でもしないと消化不良だ。
その日はタイミングを見計らって声を掛けるつもりに
なった。そのタイミングというものは実に隙がなく、計
り様がない。
C
[庭に帰る]