胡桃の庭
脱 皮 23
「へ?」
「辻上君は育ちのいい人で、ひどいことなんて言えない人よ。ちょっと気難
しいとことか、子供っぽいとこはあるけど。彼が中山さんに言ったことは本
来なら絶対に言わないことよ」
「そうだと思うけど。でも、言われたことはあたってた。私が意地張って受
け入れてなかっただけ」
「それを聞いてよかった。私ね」と言って続きをためらっている。
「もう何とも思ってないって」と、言ってあげた。「と言うか、彼が謝りた
いなんて、気持ちがあるだけでいいわ」
「ありがとう。本人が来るべきかもしれないけど、怖くて来られないって」
「私が怖い?あ、怒り出すと思って?」
「難しそうな病気だから悪化するかもしれないとか。それに、柄にもなく女
の子の部屋だからとか」
前者はなるほどと思う。だけど、後者は何を言ってるんだろう。今時シャ
イなのか?そういうひとだったのか。
「私ね」と、また、止まったが一息ついて彼女は続けた。「メモのこと聞い
て。これは彼から聞いたんだけど。相手の人のこと問い詰めちゃったの」
「南さんが?」と言いつつ、あっと思った。
「まえにもあって、私からきっぱりとした態度を取るように言ったんだけど、
クラスの誰かが中山さんにメモを入れたって河村さんから聞いたの。その返
事が辻上君に来たって言うから、私、問い詰めちゃったの」
「そう、そういう人が辻上君にいたんだぁ。こういうお嬢様タイプでしっか
り者がお好みだったか。由季さんとは少し違うわね」
「ごめんなさい。私が変に疑わなかったら良かったの」
「そういうことだったのね、あのとき、辻上君、とってもイライラしていて
何だか怒ってたみたい。いくらなんでも怒らなくてもいいって思ったけど、
黒幕の南姉さんに叱られたってわけかぁ」
「私は河村さんにも、結局、悪いことしちゃったのかしら……。言いにくい
けど、辻上君から交際申し込まれたから、絶対浮気しないならって。私も何
言ってるんだか、子供の癖して、浮気も何もないわよね」
「南さんらしいのかもね」
「中山さんには言ったけど、クラスに戻ってもこのことは絶対に内緒にね」
「わかってます。それにね、由季さんに悪いことなんかないよ。由季さんに
起こったことは他の人にはわからない。由季さんが清算することよ。南さん
と何の関係もない」と、受け売りを喋っていた。
私の身の回りには素直な人がたくさん居ると思った。私も正直になりたい
と思えた。
「話してもらって、よかった。辻上君への誤解もわかった。病気はすぐに治
るらしいし、辻上君が気にすることないわ。それが原因だとか思わないで」
「ありがとう。そう伝える。−−何だか中山さん、思ってたより明るくて、
しっかりした人なのね。早く戻ってきてね」
私は南さんの言葉を嬉しく思った。私は変わってきたのだと思えた。容姿
を棚に上げても釣り合うひとではない感じがしてどこか育ちのいい雰囲気の
彼女は私の視野に入っていなかった。学校に行ったら私から手を伸ばして友
達になってゆこう。
私は9日目にして胃の痛みのような食欲とは違う心からの欲求がが湧いて
来ました。昼に配膳されるお粥一杯を食べても一向に食べた気がしなくて、
ジュースを飲み、売店で人目を憚りながらメロンパンを2つ買っていました。
ちゃんと懐かしい食感を感じたし、食べることは不快ではなかったのです。
不思議と吐くかも知れないとは思えませんでした。
治るのか!という期待もあり、私は藤木先生の言いつけを忘れたわけでは
ないのに、久々に腹7部くらい食べたかも知れません。『急に強い食欲が起
こっても流されずに』とは、ありえないこととして聞き流していました。
でも、眠くなったと思ったら、期待を大きく裏切る吐き気で目を覚まし、
実際に戻してしまいました。
後は自己嫌悪に苛まれました。約束どおり、内科事務所に報告に行きまし
た。看護師さんは「みんなで治そうとしているんですよ」と、小言を言い、
藤木先生への告げ口電話をします。
私は病室で落ち込んでいるしかありませんでした。
せっかく南さんの訪問以来、気を良くしてたのに。体は良くなるんでしょ
うか?
夕方前、私は病室に顔を出した小阪先生に廊下の突き当りまで連れ出され
た。小阪先生はいつになく厳しい口調で切り出す。
「食べたくないから食べない。食べたくなったら食べる。そんなことがあな
たの病気に許されると思ってるの?」
「ごめんなさい」私は恐縮していた。
「食べ方はとても重要なことなのよ」
この人は私のことを思って言ってくれている。怒らせてはいけなかったと
反省した。
(24)
[庭に帰る]