胡桃の庭
脱 皮 最終
14日目にしてやっと私は吐かなくなり、ちゃんと3度の食事を摂ること
と、突然腹7部も食べたりしないように指示されて錠剤と少しの食事から始
める自宅療養に変わりました。あとは体力だけ回復すれば学校へも行けるの
です。
自宅療養に帰った日、史子は由季からもらったものを持って来ました。史
子が由季にせがんで譲ってもらったそれは、由季が使っていたスカートでし
た。私は史子に薦められるままに履いてみるとちゃんとお尻を通りました。
「ちょとばかりキツメかな。入るとは思わなかったのに」と、私は純粋にび
っくりしました。
「全然履けるじゃない。ちょっと長いかな」
「由季さんの身長は67くらいあるよね。7センチも違うとね」
「これでいつでも学校行けるね」
まったくそのとおりでした。私のスカートは履いてみるとぶかぶかになっ
ていて履きたくないと思いましたから、史子の気遣いには助かりました。彼
女以外、私を含めて誰もスカートを気にしていなかったし、母なんかブティ
ックに行ってながら気付かないし。
12キロ減った体重以上にウエストは減っていました。減ってほしいとこ
から減るって内科の藤木先生は言ってた。小阪先生は『そんなこと聞かなか
ったことにしなさい』とか言ってたけど。実際に結果としてそうなると気分
が明るくなります。ああ、女なんですね。そこからも逃げないで受け入れて、
その上で理想に憧れればいい。ダイエットする人の気持ちが今更わかりまし
た。食べたいものを食べないで痩せようとする気力の源はこの晴れがましさ
に違いない。私はそんな努力もしたことがありません。だから、神様が努力
させたのかな。
そんなこんなで20日間、学校を休んだ私は、21日目にしてゆっくりと
登校することになった。予習も何もしていなかった私は幸い、試験で授業が
進んでなかったこともあって、大幅な浦島太郎状態にならずに済んだ。私を
教室で待ってるのは女子の歓声。痩せたと言うことより、樽型からグラマー
に変わったと言う噂話が先行していたからのようだ。
私は前日、2時間目から出席すると連絡を入れていた。入院前の私のよう
に公園を突っ切るだけでへとへとになるかもしれなかったから。
私はそれでも思ったより早めに学校の近くまで行けた。実際、2時間目が
始まるまでには25分もあった。それなりに疲れていた私は、学校で眠らな
いためにもテニスコート脇のベンチに掛けた。
なぜかコートや運動場の向こうに校舎があり、この配置がいたずらに学校
を遠くしていると思った。
もう日差しは初夏の香り。白い雲に覆われると、涼しさにホッとする。
誰かが歩いて来て後ろを通り過ぎると思ったけど、その人は私の後ろを通
った後、前にまわった。
「おはよう。僕は遅刻だ」と、彼は言った。
森永君も何だか疲れていた。
「河村のことではいろいろあったね。謝らなきゃいけない」
「由季さんに会ったの?」
「え?ああ、いや、もう居なかった。河村にはきついこと言ってしまって。
あのすぐ後、親父さんが自殺しただろ。俺、河村の異常さにむかついて、親
に話しつけてもいいんだとか言った。学校に訴えたらそれなりに問題になる
とか」
そうだったんだ。この人も私と同じように恐ろしいことを推測して怖くな
ったに違いない。
「知らないこと。お父さんのことはお父さんしか分からない。由季さんのこ
とは由季さんしかわからない。口論だって、何を言い合ったかわからない。
はっきりしているのは、知らないことってこと。詮索するのは止めましょう」
いったい何が彼を熱くしたのか、推理できているつもりだった。
「あやまらなくても分かってるわ由季さんは。私も2ヶ月、連絡とらないこ
とになってる」
「河村を許したのか?」
「あたりまえでしょ。私はいい経験させてもらった」
お互いに何をどこまで知っているのかお構いなしで喋っていた。
森永君は私を見つめたと思うと目をそらして伸びをした。
「辻上が好きなんだよね」
「好きって言うのとはちがうわ。でも、ちょとかわいいかな」と、私は南嬢
の尻に敷かれた状態の彼を思った。
「河村、猫飼ってたか?」
「え?!」
「河村の家に行ったら、扉を引っ掻いてる猫が居た。手作りの首輪がついて
る、ミンて書いてある。置いてったのかな」
「由季さんは猫が居なくなったって!」
「そういうことか。俺、つれて帰ったんだ」
私は目を閉じた。涙があふれそうなのを堪えた。すぐにハンカチでひとふ
きして、『ありがとう』と、すがり付いて泣きたいくらいの思いを抑えて、
「2ヶ月たったら届けなきゃね」なんて言った。
「謝りたいのは河村にじゃないんだ。−−そうだ、今井が預かってたままに
なってたものが」と、彼は懐かしいメモを差し出した。
『元気のない君は本当はハッとする素敵な笑顔を持っている。それを見たく
て君を見守っている。でも、笑わない君に変わってゆくのが気になる』
彼は受け取った私を見ていた。
「森永君、河村さんにどうしてひどいことが言えたの?森永君、クールだと
思ってたのに」
きっと彼は遅刻したんじゃないと確信した。こんな形で会ってくれて私も
良かったと思った。
3人組が私たち3人組を追い越して歩いていったあの日。振り返らなかっ
たあなたの心中はメモのことが気になってたのよね。
私は手帳からはさんでいたメモを取り出し、お返しよと、差し出した。
『あなたですか、私のこと見てくれるのは。もしそうなら、そうだと言う
笑顔を下さい。そうでないと、私は笑顔を忘れてしまいます』
彼は手にすると、寂しく笑う。
「俺が受け取っていいのか?」
「いらなきゃまた他の人に上げちゃう」
彼は受け取ると、深く頭を下げた。
「俺に河村は責められないんだ。同じようなことしてるんだからな。君を巻
き込む、そもそものきっかけは、俺のちっぽけな行動力だ」彼は頭を上げる
とまた私を見ていた。
「中山、ちょっと見ない間に、綺麗になったな」
そのとき、私は変われたのだと思いました。あ・な・たが、そう言ってく
れました。
− 脱皮 −
(1)
[庭に帰る]