胡桃の庭
脱 皮 3
どこへ向かって?どのくらいの勢いで?・・・まったく覚えていません。
ギャフンとかうめいたと思いますが、それが崖の下まで行ったのか、転がっ
たのか引っかかったのかわかりません。私はただひたすらそのつらい状況か
ら、そう、良心の呵責から逃れようと、走っていただけです。
どうやって坂を降りたか、公園の自転車にたどり着くまでに派手に躓いて
倒れたのすら意識に残らないくらいでした。気が付いたら必死で自転車を漕
ぎ、あそこから離れていくことだけ考えていました。
私の怒りは浮かばれるどころか、じわじわと腹が立ってきました。由季へ
の怒りに混じって余計に可哀想な自分、無念で滑稽な自分に腹が立ってきま
した。なんて無意味な一人相撲してるんだろう。そう思って、無念さで心を
満たそうとしました。なぜなら、私には良心の呵責がまだ敵にまわっていた
からです。
きっと道路にたたきつけられるほど放り投げられてはいない。私は良心に
弁解すらし始めていました。
私はもともと怒りを感じない温和な子でした。ただ、プライドを傷つけら
れるのはとても辛く、体が震えるほどの怒りを覚えることがありました。自
分の考えがいつも正しいと思い込む悪癖がそうしていたのだとわかります。
私は中学に入った頃には肥り始めたと自覚していた。そのまま私の体重は
順調に伸び、自分が肥った生き物になっていることを受け入れるしかなかっ
た。女としての美しさと私のこととは無縁だと思い込んだ。体質だから仕方
がない、近眼のようなものだと思い込んでいたし、まだ、さほど肥えてはい
ないと思う自分も居た。
食べることで少しだけ埋まる空ろな心をどうしようもなく不快に感じてい
た。思春期は誰でもそうだと今でも思う。私はピアノを弾いたり、パソコン
をさわったりして空ろな部分を埋めようとした。勉強したのも漠然とした不
安感からだった。重い体に鞭打って、運動部に入っても能力より体力が続か
なく、やめてしまった。
私には考える癖があって、もともとおしゃべりでないため、対話がはずま
ないことがよくあった。それでも考えながらしゃべろうとすると次第に他の
人と話が通じなくなってゆく気がして、さらに口が重くなった。チャットで
ミーハーな会話の練習をしようとしても、結局、考えて発言し、挙句にギク
シャクして傷ついてしまう。
私は私が正義だと思う兆しがあると薄々感じていた。だからどこかで無理
強いになり、分かってもらえないもどかしさになる。なぜ、この理屈が分か
らないの?と本心から思うのが、会話の障害になっていると思う。
正義を本当に分からないと私は自分を盲信してしまうという不安があった。
真実に近いものを分かりたいと思う気持ちが法律への興味の始まりになった。
高校に入ってももはや私の言う体質は変わらず、体重は減らず、ようやく、
そのことにストレスを感じていると自覚し始めた。女であることを本当に忘
れなければストレスに耐えられないと思っていたし、体質だから仕方がない
と思っていた。明るく振舞えればストレスはなくなったかもしれない。私の
ように史子としか話せない、会話恐怖症に陥りそうな状態ではストレスから
の脱却は不可能だった。
この無意識の中に蠢くストレスを怪物にしてしまった事件があの、どこに
でもある取るに足りない青春の一コマだった。
あのメモが私のロッカーに入っていました。
小学生のとき、同じクラスの男子が私にラブレターを渡したとからかわれ、
一種のいじめに遭っていたことがありましたが、私も結局、いっしょにから
かわれました。発端は誰かがでっち上げたラブレターでした。そういうこと
があったから、あのメモには大いに警戒させられました。
小学校での体験で、少しはいじめられ慣れはしていたけど、その分、人を
信じなくなる小さな出来事でもありました。あの短文は今でも思い出せます。
『元気のない君は本当はハッとする素敵な笑顔を持っている。それを見た
くて君を見守っている。でも、笑わない君に変わってゆくのが気になる』
差出人不明の切り離された一枚のメモ用紙を、私は無視するに限ると咄嗟
に思ったものです。私が完全に無視できなかったのは、暗くなっている自分
に思い当たったことと、男性の言葉に、女であることを思い出したからでし
た。
デブブスに対する嫌がらせが始まったのかもしれない。筆跡や紙の使い方
に字の大きさ、丹念に見て、私の知っている人と頭の中で照合してみました
が、その場では何も思い当たりませんでした。美人なら女子からいろんない
たずらを受けられるものです。そういう意味では私は無視される存在だと思
います。
(4)
[庭に帰る]