胡桃の庭
脱 皮 4
私は、二日後には何ら進展のない状況に、いたずらにしても身が入ってな
いと思い、メモのことを史子に相談した。
彼女のほんわかとした頭の回りの悪さを見下していたので、私でも進んで
話し掛けられた。
学校の配慮なのか、史子と同じクラスになってとてもよかった。高校生に
なって二ヶ月もたってないとき積極的にクラスメートを増やそうとしていな
い私に自然と友達ができるわけはない。我利勉も多い学校だしね。
史子と史子の友達になった河村由季の3人で登校することもあったけど、
私はなよなよした感じで美人を鼻に掛けた由季を好きにはなれず、並ぶと自
然に真中が史子になる。
メモのいたずらは誰かの気まぐれで、仕掛け人自体が進展を望んでないも
のと思い始めた頃、『あのこと由季に話してもいい?』と史子が尋ねた。
「絶対に言いふらさないでよ、仕掛け人の思う壺なんだから」と私は釘を刺
しながらも、脚色されたり大げさになったりするのが怖かったから私から由
季に話した。
私には心の底でほのかに沸沸と泡立つ『本物かもしれない』の思いが分か
った。それだけに、むしろ、それが悟られないように十分注意しながら話し
た。
由季は私の気持ち悪げな話し方を神妙に受け止めてくれた。彼女の中には
低レベルな悪戯として伝わったようでホッとした。
「まるで小学生ね」と由季は言った。
私は「小学生のとき、男子が悪戯されてたわ、相手は私で。ほんとに成長
しない人が居るものよね」と、自分から小学時代の軽いいじめを告白した。
クラスの男子でカッコいいと言えば辻上君でした。私も大半の女子と一致
した見方をしていました。だから、あの頃、登校する私たちの横を早足で越
してゆく辻上君、今井君、森永君の3人組が気になっていました。おしゃべ
りで明るい今井君、美形でスポーツ万能の辻上君、澄ました秀才の森永君。
丁度あの頃、私たちが3人揃っているとき、さっさと脇を過ぎていった3
人組の一人、今井君が振り返って私たちをチラッと見たことがとても気にな
りました。彼の視線が由季で止まって「おはよう」と言ったからです。私た
ちも「おはよう」と言ったけど、3様の思いがあったのです。私と由季は、
辻上君の後姿に向かって言ったし、深田史子は最高の笑みで今井君に言いま
した。でも、今井君は河村由季に言ったし、他の2名は振り向きもしない。
後で思えば、由季は私より何倍も思いを込めて辻上君の背中に「おはよう」
を言ったはずです。そして、辻上君はそれを強いて無視したと思います。
森永君は振り向かなかったし。後から考えるとあの一瞬はいろんな思いが
交錯してたと分かりました。そのとき、丁度、男子3人の間では由季のこと
が話題になってたことも想像できます。あえて、振り返った今井君は「おは
よう」のためではなく、明らかに由季の機嫌を確認したかったのだと思いま
す。辻上君の代わりに振り返ったつもりだったのかも。
私の辻上君への憧れはテレビタレントのような遠くの存在へのほのかな眩
しさだった。接近したいなど考えてもいなかった。だから、由季の辻上君へ
の思いもきっと同じようなものだろうと思っていた。
「その話って、もう三日も前のことなの」と、由季は私の打ち明けにつぶや
いた。
「うん、悪戯ならそれなりに次なる展開があってもいいと思うんだけど、二
日経っても何にも起こんないし」私がそう言った後、由季はしばらく歩きな
がら路面へ目を落としていた。
「それは大変な悪戯かもね」と、由季は真剣な顔で言う。「その日、放課後、
誰も居ないと思っていた教室から飛び出してきた人が居るの」
由季の言葉に、思わず、え?と立ち止まった。
由季も立ち止まって振り返ると、私と史子を交互に見て「その人がメモを
入れたかどうかは何とも言えないけどね」と言う。
「誰なの?」と言ったのは史子。
「どうして大変な悪戯なの?」と、私。
「ホンワカ史子には関係ないけど、私にはおおありよ」と、由季は向き直っ
て歩き始める。
私は横に並んで「だれ?」と、言う。由季が目を落としていると私はなぜ
もったいぶっているのだろうと思いながら、あっと気が付いた。
「まさか」と私は言って。「そんな馬鹿な」と笑ってしまった。
「でしょ。だから、悪戯なのよ。私がそう思いたいんじゃなくて、自然に考
えてみてよ」
背後で「誰?」と史子が言う。
私と由季は無視して、顔を見合わせている。
「悪戯する?あの人が」と、私は辻上君と低俗な悪戯を天秤にかけていた。
別世界の人気タレントが私の世界まで降りて来てこんな私に悪戯して面白い
かしら。
しばらくして、由季も「それもそうよね」と言う。
(5)
[庭に帰る]