胡桃の庭
どうして、おとうさん 2
よほど嫌なことだったようで、何日かつづけて返事の
中で注意されました。絵に気をとられてお父さんとのお
話を忘れた一瞬でした。
私にも反抗期がありました。小学3年のときはお母さ
んと喧嘩ばかりしてました。どれをとっても私のわがま
まやお手伝いをしなかったりとか、お母さんが悪いこと
はなかったと思います。
絵日記には「私はほんとうに悪い子でした、お母さん
を怒らせてばかり」と書いたり「お母さんはわからずや
よ」と書いたりで、お父さんも返事に困ったと思います。
よく憶えているのは、「いつもいい子でなくていい」
と書いてくれたことです。私がいい子だった方がお父さ
んもいいに決まってます。一歩歩み寄ってもらった感じ
がして、私も一歩、歩み寄らなきゃと思いました。小さ
な小さな大人になる瞬間のひとつでした。お母さんとの
ことで苛々していたその頃、友達とも喧嘩して気まずい
思いをしていたのを絵日記に書けずにいたのを憶えてい
ます。一ミリ大人な気持ちになれた私は私の方が悪かっ
たと思えました。
「喧嘩してた山口さんに謝ったら笑ってごめんねと言っ
てくれました」と、書く事ができました。
お父さんでも風邪をひいて休むことがありました。私
より先に床に就いてぼんやりとラジオを聞いているお父
さんの枕元に風邪薬と絵日記を持っていって「お薬置い
とくね」と言って部屋を出ました。
明くる朝、既に出勤に出たお父さんの机の上に絵日記
が置いてありました。病気を心配した私の文の横に「お
薬は典子の絵日記だよ、これがあるからお父さんはがん
ばれる」と書いてありました。こんなことを薬にがんば
れるものなのかなと思いながらも嬉しくなった私は、よ
ーし、お父さんのためにずっと続けるぞと誓いました。
私の学校は5年生になるとクラブ活動をすることにな
っていました。少し肥り始めた私は美述部には入らずに
バレー部に入りました。ダイエットもあるけど、美術部
で絵を描いたりして、家で絵日記描くのは絵に時間を掛
けすぎて消化不良を起こし、絵が嫌いになるかもしれな
いと思ったのと、私が行くはずの旭中学校の美術部は有
名だから、そこで絵は鍛えられると考えました。それに、
お父さんもチームスポーツをしておくと、その経験が成
長にも絵にも栄養になると言ったからです。
私は絵を描くために、自転車でふらふら街や公園や河
川敷を散歩することがよくあったために、孤独感を感じ
ることもありました。お父さんはそういう事を心配して
のアドバイスをしたのでした。
私は重いと思っていましたが、意外にもジャンプ力が
あり、バレー部でもアタックやブロックができる選手と
して試合に出てました。バレーも面白くなって私なりに
上達してゆきましたから、6年生になったときクラブの
B
[庭に帰る]