胡桃の庭
どうして、おとうさん 3
ある日、クラブで中学校の試合を見に行くことになり、
旭中学用のバレーコートに行ったことがあります。中学
校専用のコートがあるなんて知らなかったけど、バレー
部も有名らしいのです。男子のバレーは迫力も技もずっ
と上でした。
そんな中に旭中学の選手で小柄ながらよく活躍してい
る人に見覚えがあることに気がつきました。誰だろうと
ぼんやり考えたあげく、帰る頃になって、思い出しまし
た。登校するときにたまに自転車に乗った彼とすれ違う
だけのことだから思い出せなかったのです。根暗そうに
見えた彼がバレーで活発に動き回る姿は不思議なものを
見ているようでした。でも、私が思ったイメージが少し
ずつ消えて、実際の姿が根づいてゆきました。
絵はバレーボールとそれを打とうとしている手で、「
旭中学のバレーコートに行きました。男子のスピードを
見ると私のはやっぱり小学生だなと思いました」と、書
いたのがその日の絵日記。
そのことがあってから私は彼をバレー部の先輩を見る
ような、少しの尊敬を含んだ思いで見るようになりまし
た。朝、すれ違うことがあったら、気持ちでは「おはよ
うございます」と言うのだけど、口からは出ません。登
校中にすれ違うことを楽しみにする気持ちも湧いて来ま
した。何日も会わないと、クラブ活動も早々終わって、
自転車でバレーコートまで走ることがありました。
川の土手の上から小さく見える彼を眺めることが好き
になりました。すぐ近くで見ると、気付かれてしまうこ
との身の繕い用のなさを不安に思うのに、遠くで気付か
れないことを寂しくも思いました。
「土手の上から眺める夕陽はこんなにきれいだったかな」
と、夕陽を絵日記にすることが多くなりました。
気がついたらこの9月の内、バレーコートや土手の上
のことが十四日分もあります。お父さんからの一言には
「放課後のクラブさぼって散歩するのはおかしいぞ、誰
かと喧嘩でもしたか?」なんてのもありました。
そうです、おかしいと自分でも思っています。そして、
日記を書く事がつらくなっています。いくら習慣でも書
けないとき無理に書くのはつらいのです。なぜつらくな
ったのかはわかりました。
「誰かと喧嘩でもしたか?」
お父さんは本当の私を見失っています。私は日記を書
いているのが本当の私じゃないからだとわかっていまし
た。
「嘘を書いてはいけない」と叱ったお父さん。
「これがあるからがんばれる」と言ってくれたお父さ
ん。
「一生続ける」と意気込んだ私。
本当の私が描かなくなると、偽者の私が出てきて河原
にトンボが居たなんて描いてしまう。「河川敷でキャッ
チボールする女の子なんて珍しいね、すごくよく描けて
るよ」と書かれたとき、全然嬉しくないのが悲しくもあ
りました。私が見ていたのは遠いバレーコートだったし、
女の子は河川敷に居たけど、拾ったグローブで遊んでた
だけ。お話のための日記だったし、嬉しくなるための日
記だったのに、何のために書いてるのかわからなくなり
ました。
C
[庭に帰る]