胡桃の庭
どうして、おとうさん 最終
本当の私は訳の分からないまとまりのないことを書い
たり、何を描いたらいいかも決まらない。あと何年かす
ればちゃんと描けるかもしれないけど、今は何を描いた
ら正直なのか見失ってばかり。
「いつもいい子でなくていい」なら、本当にそうなら
わがまま言ってもいいのかなお父さん。
「何でもないのよ、全然、いつもの私だけど、絵日記
を止めてみたいと思う。だめだって言われるかな。ごめ
んなさい」と、どう考えてもこうしか書けなかった。
私はがんばってるお父さんへの恩返しがこれでできな
くなると思いました。もっとお母さんの手伝いをしよう。
お父さんに手作りのおいしいものを作ってあげよう。お
父さん用の年賀状の絵が去年より良くなるように練習し
ておこう。もっと私にできるいろんな事で恩返しをしよ
う。許してもらえるなら。−−怒るだろうか。悲しそう
な顔されるだけ?
その日、私は早めに床に就き、たまたまお父さんが早
く帰っても顔を合わせないようにしました。それに、次
の日はお父さんが家を出たのがわかってから起きました。
顔を洗う前にお父さんの部屋に入り、そこにある私の絵
日記を恐る恐る開きました。
そこにはお父さんの字で一行、書き加えてありました。
「いいだろう、いつか言い出すと思ってたよ」
それはあまりにもあっけないOKでした。「どうして、
お父さん?」と、声に出たくらいです。それはそれでほ
っとしたような残念なような。私は一日中、その事ばか
り考えていました。
「やめたいの」「あ、いいよ」って簡単なものだったの
か。
学校から帰って夕食を作るのを手伝っているとき、「
止めたんだって?絵日記」と、お母さん。「父親よりも
男の子が気になるからな。なんて言ってたよ」と、お母
さんは冷やかすような目で私を見ます。でも、私は、は
っとして見つめ返しました。そしてすぐに一日の悩みが
すべて解決したような晴れ晴れとした気持ちになって行
きました。
お父さんは私のこと見失っていなかった。そしてわか
ってたからOKって言ってくれた。そうよね、お父さん
もかつて小学生だったし、中学生だった。私より年上の
ときもあるけど年下のときもあった。私をずっとみてい
た人だから私のことがわかった。それはお父さんにとっ
て簡単なことだった。どうして?お父さんと私は思った
けど、絵日記を止めることをお父さんはどうして?とき
かなかった。
連絡帳であった絵日記をやめても、お父さんは私のこ
と見失わないと思う。
「カルボナーラソース、私が作ったのよ」と、スパゲテ
ィの大盛りの絵に添えた、最後の絵日記。果たしてその
応答は、「もうすぐ中学生、たまには夜更かししろよ」
でした。
@
[庭に帰る]