胡桃の庭
クマの墓 2
「雅巳と遊んどうね?」と、ちーちゃんが入って来るな
り言ってみた。
「うんにゃ、最近は」
最近とは弟を基準に思えば小学生らしくない言い方に
思えるが、これがちーちゃんの特徴だった。
「雅巳はちーちゃんば好いとうよ」
「いやあ」と、一人前に照れる。「姉ちゃん、雅君が犬
ば拾て来たとよ、うちに飼えて言いよったけん、もろた
よ」
「えぇ?どこ?」
「庭」
「叔母ちゃんは飼うてよかって言うた?」
「うむ、お父さんも、叔父ちゃんも」
なるほど、あのときの犬が広い庭の隅に居た。何とも
犬小屋は例の林檎箱だった。首輪をつないだ紐は結構長
く、彼も広い庭で満足しているみたいだ。
「みんな、よう許したね」
「みんないけんて言いよった。ばってん、可愛いかろう?
あがん可愛か犬は捨てられんよ。誰かが捨てたとやろね、
かわいそか。−−うちがぜーんぶめんどうみてやあよ、
そがん約束やけん。真っ黒やろ、そいけん名前はクマ」
弟もそんなこと言ってたと思いだした。だれでもそれ
くらいの覚悟はあるようだ。お嬢様ちーちゃんにどこま
でできるか不安はあった。
「きのうお風呂に入れてやったとよ、汚れとったよ。…
…うちはクマのお母さんになったとよ」
ハッとしてしまった。そして少女が飼うことを許され
たわけがはっきりとわかった。
* *
それからはよく犬を連れた少女を見掛けるようになる。
散歩しているときのクマはちーちゃんに忠実で利口に見
えた。日に日にむつまじくなるようで、私はとても嬉し
かった。なぜならクマにはこの冬を野良犬として乗り切
れる逞しさはないだろうから。クマの動きは幸せそのも
ので、いつも笑っているようで、引越しだの転校だので
不安な毎日の私からは羨ましいくらい。
弟に因ると、少女一人で全ての面倒を見ているらしい。
ちーちゃん以外の人は犬の存在など気にも掛けない様子。
これは望ましいことだろう。少女がクマの母親になりき
れるのだから。食べ物も自分の小遣いからくめんして、
週に一度は小屋の掃除をしてやって、お風呂にも入れて
やる。飼うことにもともと反対だった家族にしてみれば
とてもよいことだ。彼らはクマと無関係でいられる。
その習慣は十二月になっても崩れず、益々徹底してき
た。以前より作法のしつけも厳しくなり、他の人をクマ
に寄せつけたがらなくなった。何か……我が子の成長を
見つめ続けたかったちーちゃんのお母さんの魂がちーち
ゃんを染めている感じもするのだった。
そのころは小屋に沢山の古着が入れられていた。九州
でも冬は寒い。雪のことも考えて、広い庭のいよいよ隅
の楠の木の下に小屋が移されていた。
* *
クリスマスの朝から私はちーちゃんの所へピアノ目当
てに出て行った。
「おはようございます」と、戸口で言うなり、少女のシ
クシク泣く声が耳に入ってきた。「はぁい、どうぞ」の
叔母さんの声に、慌てて上がり込んだ。見ればちーちゃ
んが顔も目も赤くして泣いていた。テーブルに伏せると
淡い泣き声に合わせて肩をヒクヒク動かしている。
「どがんしたと?」私は努めて優しく言ってみた。
「あん犬が病気になったごた」と、叔母さんが答えた。
「ひどか?」
「いいんにゃ、ちょっと元気んなかだけたい。ばってん、
えすか病気かも知れんけんね。狂犬病も流行っとうごた
ろ?」
「伝染病とか?」
「……もしも、もしもたい」
「捨てろて言うと?」
「そいばってん、獣医には見せとうなかって言うやろ」
そう言えばちーちゃんは大の病院嫌いで有名だ。病院
は生き物を苦しめるところであるという感覚。そんなと
ころへは行かせたくないのか。もしかして獣医に見せて
家族にお金の負担をかけることを恥じているのかも。
家族とクマの無関係は少女らしい母親の誇りだった。
B
[庭に帰る]