胡桃の庭
クマの墓 3
家族とクマの無関係は少女らしい母親の誇りだった。
「犬ん病気はあんまい人間には関係なかさい」私は少女
を助けるような言葉を吐いて明日、明後日まで様子を見
るように意見した。それから、とりとめのない話をしな
がら、もしものときは獣医に見せるように納得させた。
私は勝気な少女の涙を久しぶりに見た。あまりはしゃ
がない、行儀よく、もの知りで、お澄まし。もう一度小
学生からやりなおせるなら、こういうのもいいと思う。
ちーちゃんは自分専用の炬燵にクマを上げていた。ク
マは確かにぐったりと寝そべっていて、炬燵から離れら
れない様子だった。苦しがっている様には見えないが。
冬休み三日目、クマの様子は変わりなかったが、ちー
ちゃんに因ると元気になってきたと言うことだった。
ちーちゃんは獣医さんから恐ろしいことを宣告される
のが怖いのだと言った。ちーちゃんの見立てはたいした
もので、その一日後にはすっかり元通りのよくはしゃぐ
クマに戻っていたらしい。一日中、少女はクマを連れて
出していたと言うことで、クマに対するちーちゃんの大
きさより、ちーちゃんにとってのクマの存在感は異常な
感じでもある。少女の熱意は少女自信を孤独にして行く
様だ。育てることの苦しさがわかってきたからこそ、夢
中になってゆくのだろうか。
そういうことはちーちゃんと二人でクマを散歩に連れ
出すとよくわかる。ちーちゃんは神経質になって、自分
でも飲めそうな水しか与えないようにしている。堤の水
や、水溜りの水は避ける。
* *
数日後に感じたのだが、考えてみれば弟はちーちゃん
と会っている様子がない。幼なじみの時間が終わりに近
付いているのか、弟は遠い家の友達を訪問することはあ
っても、ちーちゃんを見掛けても言葉もない。ちょっと
気になった私はそれとなく訪ねてみると、絶交したと言
うことだった。
「図工の宿題、教えてやあつもりやったとに、家にも入
れてくれんし」
「あんたが教ゆってや?珍しかね」
「ちーちゃんはクマば独り占めすっとやけん」と、雅巳。
「クマはちーちゃんにやったとやろ?」
「おいが見つけた犬やもん」
「ちーちゃんはクマば好いとうけん」
「えさぐらい遣らせたっちゃよかろもん。あいはけちや
けん好かん」
「そがんことで絶交したと?」
どうせ姉ちゃんにはつまらんことだろうと言う様な顔
をしたため、何も言わなかったが、幼いと思った。そう
言えば弟があの家に行った頃、丁度ちーちゃんはクマの
病気事件の最中だ。クマのことで頭が一杯で、図工や雅
巳のことなど気に掛ける余裕がなかったのかもしれない。
雅巳はクマにやきもちを焼いているように見えた。
しかし、馬鹿にしたものでもない。とうとうそのまま
正月を迎えてしまう。私も小学生の頃ひどい喧嘩をした
ことがあるが、三日後には元の鞘に治まっていた。雅巳
の場合、そんな感じではなさそうだ。相手がちーちゃん
なら勝ち目はないと思っていたが、なかなか弟も辛抱強
い。互いに友達がいて、しかも、男の子と女の子だから
話も合わないし、だから求め合わないのだろうか。仲直
りに価値がなくなったのか。
そんなある日、頭の悪い雅巳は苦境の中に立たされた。
母から、冬休みの宿題を全てやってしまうように命令さ
れた。雅巳はそれまで遊ぶことしか脳になかった。
新年三日目、私は引越しの予定日が一月十二日である
ことを知る。理由までは知らないが、とにかくそう決定
してしまった。行き先は名古屋である。思ったより早い
ことで、私は急に悲しくなった。十六年間、私を支えて
きたこの地が遠ざかる。親元を離れるようだ。しばらく
書いてなかった日記を無性に書きたくなって、センチな
思いを綴った。裏山のことだけでも数々の思い出がある。
幼い日、父に背負われて登った。昼寝しようとしたら木
洩れ日が邪魔したこと。中学のときにもかなり上まで登
って、帰りがひどく遅くなったこと。最近では風景のス
ケッチのために登った。私のは下手なほうから二番目。
ふと、裏側の窓を開けた。夜の闇の中に、ずっしりとそ
れを感じた。
* *
C
[庭に帰る]