胡桃の庭
クマの墓 6最終
「クマ、どがんしよう?」
その時あのお向かいのおばさんが本をかかえて入って
きた。少女が礼儀正しく挨拶すると、彼女はにこにこし
てそれをベッドの脇に降ろした。
「元気んなったね。すぐに退院らしかと?」
「はい」と、少女は雅巳に向き直って
「元気?クマは」と続ける。
それを聞いたおばさんは私を見て欝向いてしまった。知
っているらしい。
「ちーちゃん、クマは」
「ン?」
「事故があってね……」
ちーちゃんは真剣に雅巳を見つめた。すぐに自分をか
ばうように微笑んで「またぁ」と言ってみる。
「いや、本な事、事故があって、死んでしもうた」
「うそやろ!」私の沈んだ顔を見て、気が遠くなるよう
な目をする。
「死んでしもた」と、雅巳は繰り返した。
「いやっ!」と、それは小さな叫びだった。顔は本で覆
われた。はみだした唇は振るえていた。すぐに言葉はな
かった。私はおばさんと顔を見合わせた。
「なし?どがんして?」もう泣き声だった。
「きのうね、ちーちゃんの家の庭でクマは吠えよった」
「……うむ」
「ちーちゃんのお父さんが行って見たら、鎖ん切れそう
になっとった。クマはどっか行こうでしよった」
「どこに?」
「どこか。……今頃、ちーちゃんの居らんけん、捜し
に行きたかったんかもね」
「うちば?」
「切れんて思うとった鎖がいつの間にか切れとってね、
今日、クマん居らんやった」
「どっか行ったとね、じいっとしとればよかとに……」
と、少女は泣き声。
「クマはあの坂んとこでね、ダンプじゃなかった、オー
トバイに跳ねられたごた」
ちーちゃんはベッドにくずれてしまい。おばさんは私を
見て、とりあえずそばの椅子に掛けた。
「ちょろちょろするけん、馬鹿やけん……」少女はそん
なことをつぶやいていた。とにかくここはそっとするし
かなく、私は不安そうな目線を向ける弟に微笑んで見せ
ようとして唇が振るえたにちがいない。
「ごめんね、うちが雅君からもらわんやったら、よかっ
たね」
「いんにゃ、ちーちゃんと会うたけんクマはいつも嬉し
かったとよ」
「そがん思う?」
「思う。クマはお母さんば好いとったよ。そばに居って
もろて、良かったて、思うとうよ」
静かである。誰も話さない。私は心の中で雅巳に拍手
を送っていた。
「雅君」と、少女のぽつんとした小さな声。
「うむ?」
「クマのお墓は?」
「有るよ、裏の山に」
「良かった……クマの墓、花ばいっぱい置いてやろうね」
「冬やけん、花はなかよ」
「ああ、そうか。−−今日は火曜日ね?」
「火曜日」
「明日、街に行ったら、もう帰って来んと?」
− クマの墓 −
松野 胡桃
@
[庭に帰る]