胡桃の庭
ロマーナのページ 3
「あなたにだから、あげるのよ」
「ああ、ロマーナのロッテを預かるなんて責任重大ね。
私、獣は好きだったけど、鳥はそうでもなかったわ。き
っと卵から生まれるからよね。人間とはちがった世界の
生き物だもの」
「ソフィア、この子をミラノへ連れてって私の代わりに
話しかけてって言ってるのよ。要るの?要らないの?」
「ええ、もちろんいただくわ。ロッテはただの小鳥じゃ
ないんだもの、私が好きにならないはずないわ。私が引
っ越して行く頃には懐いてるわね」
ソフィアには小鳥が手にはいったことよりロマーナが
大切にしていたものをもらったことが嬉しかった。それ
で、篭の鳥はソフィアが家に帰り着くまでの彼女のスキ
ップに堪えなければならなかった。
篭は庭の木の枝に掛けられた。
「ただいま、おばぁちゃん。あれ見て、ロマーナにもら
ったの、可愛いでしょう。餌ももらったけど、意外と早
くなくなるんだって。ーーうちの中に置きたいんだけど、
あきらめてるの。だって、お母さんは許さないわ」
古くさい長椅子にソフィアの祖母は腰掛けている。二
人はよくそこで話す。
「鳥なんかもらってどうするんだい?、引っ越しはもう
すぐだよ」
「だからもらったのよ、連れてゆくのよミラノに。ーー
大丈夫、何もかも私一人で世話するから。ロッテって名
前は皮肉ね。だって、輸入石炭はドイツからもいっぱい
来るんですもの。あ、スイス国籍ってことらしいけど。
でも、名前は変えないの。ーーブルーノだって〜」〜鳥
篭まで歩む。「絵はうまいのよ。わたし、彼が外で絵を
描いてるのを見たことあるの。私の目には素敵に映った
わ。ほらあの、大きな家の。めったにあの人、外へ出な
いけど。ーー私、ハンディキャップのある人と結婚する
のもいいと思ってるの。いえ、ブルーノが来た、ずっと
まえからよもちろん。私の価値や存在感はそうすること
によって生まれると思うの」
その聞き手は、ただうなづくだけだった。
>< ><
「これなんだけど」と、ブルーノはロマーナに港の絵を
差し出した。「このまえのより気にいってるんだ」
少女は円卓に着いて考え込んでしまう。「本当にきれ
いだけど……」ーーしばらくしてブルーノが「そんなに
下手?」と顔をのぞきこむと、しきりに首をふる。ーー
「わたしは絵の描き方なんか教えない方がいいと思うの」
「どうして?」
「これはとてもきれいだし、ていねいよ。だからこのま
ま上手になっていってよ。私のような絵を描こうなんて
思わないで。ーー個性的よ、この絵。……私が言いたい
のは個性をどうこうする権利が私にあるかってことよ」
「そんなおおげさな……」
「これだけペンが使えれば教えることなんてないわ。絵
ノ具や筆の使い方はあなたなりに見つけてよ」
「ロマーナ……」ーー一息つくと車をうごかし、円卓か
らはなれる。
「僕は漫画が描きたいのには違いないよ。だけど僕は漫
画を変えようと思うんだ。きちんとした絵を描きたいん
だ。今ごろの漫画は落書のようなものばかり。イタリア
の漫画はもっと進歩すべきだ。わかるだろ?」
「……ええ。ーーところで、この港はどこ?」
「さあ、どこだろう。なにしろ港は図書館の写真しか見
たことないからね」
「ブルーノまさか、想像で描いたの?」
「ああ、そうだけど」
>< ><
窓の外は鮮やかな夕暮れだった。ソフィアは開かれた
日記の書面をペンでつつきながらぼんやり外をながめて
いた。『金曜日、そして明日は土曜日、きっと私はロマ
ーナの所へ行くわ。明日は今日の事を話すんでしょうね。
……ブルーノのことなのに……。』と書くと、また外を
見る。
庭の向こうの通りを歩いて行くのはマレッタだった。
窓から顔を出したソフィアはさっさと歩く彼女を見る。
見送り始めたと感じた時、窓は音をたててめいっぱいひ
らかれる。振り返ったマレッタに、ソフィアは「あ、こ
んにちは」と、言う。マレッタは無表情にちょっと頭を
下げると、さっさと行ってしまう。
「あの人は元気ですか?」と、ソフィアは窓を閉めなが
ら一人言。席に戻るとペンをペン立てに刺し、日記を手
にする。とりとめなくページをめくる。
>< ><
C
[庭に帰る]