胡桃の庭
ロマーナのページ 7
ソフィアが帰ったのはその二日後だった。彼女は帰る
早々、血相を変えて走り出さなければならなかった。心
の苦しさをまぎらわすためにも走るのが一番よかった。
病室が見つかると、十分に息を整え、厳かに扉をたた
いた。「どうぞ」と、ロマーナの兄の声。
ソフィアが扉の奥に見たものは、真白なシーツを掛け、
眠っているロマーナだった。ソフィアは忍び寄るとこぼ
れそうな涙を拭きとり、ひざまづいた。
「ロマーナ……。−−あの、母に、とても重い病気だっ
て聞いて来たんですけど」
彼は難しい本を膝におろすと妹をみつめた。
「今朝、街の医者を呼んで、診てもらったよ。風邪ひい
てたんだけど、ちっとも用心しないから……びしょ濡れ
でほっつきまわったり。……なあに、軽い肺炎だよ」
「助かるんでしょ?」
「ああ、このまま何もなければね。あの先生、自信ある
みたいだったから……」
「重いのかしら」
「どうだか……。でも、ここの先生が街から名医をよん
だことを思うと……」
「ロマーナ、いつ目を覚ますの?」
「もうすこし寝てるだろう」
「そう。……また来ます」
突然、ロマーナは咳をすると、欝伏せになり、深呼吸
を始めた。兄は飛び寄ると、少女の背に手をあてる。
ロマーナはあおむけに戻ると小さく目を開いた。
「ソフィア」−−あの美しいロマーナの声ではない。
「ロマーナ、わたしよ」と、ソフィアはロマーナの手を
引っ張り出して握りしめた。「大丈夫よ、すぐに良くな
るわ」
「ソフィア……」
「なに?なあに?」
「ロッテ、居なかったでしょ」
「ええ、ごめんなさい。弟が逃がしたのよきっと。何て
言って謝ればいいの?」
ロマーナは首を振る。「私よ、私が逃がしちゃったの。
あの枝からおろして、ちょっと遊んでたら、逃げちゃっ
た」
「ロマーナから?」
「ソフィア、私からの贈り物、別なのを……」
「わかったわ、その話しはあとよ、もっといい声が出る
時に。……すぐに治るらしいわよ」
「ねむい……」
「そう、よく寝なさい」と、ソフィアはロマーナの手を
シーツの中へ返した。
帰り道のソフィアは来る時よりも平常を保てた。ロマ
ーナは口もきけるのだし、想像したような苦しみあえぐ
姿を見ないですんだ。これで自分まで神経症になる必要
もさなそうだ。ロッテのことも一応、納得できた。帰っ
たら先ず、弟に頭を下げなければならない。
>< ><
僅か四日でロマーナの様態はとても良くなった。ソフ
ィアもそうだが、これには医者もいたらしい。
ソフィアは共働きの両親が仕事にでかけると、いつも
はおばあさんのする皿洗いを始めた。学校は既にやめて
いたため、こういった仕事をするのは当然だった。
「助かるねぇ。台所の掃除は私がやるからね」
「いいのよ、お婆あちゃん」
「ニーノは外かい?」
「え?」
「いや、ニーノは……」
「朝早く出てったきりよ」
「あのねソフィア、ちょっと言っときたいんだけど」
「ニーノ、いつ帰るかわからないわよ」
「いや、あんたに……」
「ただいま」と、キッチンへ入った少年はソフィアのと
なりへ来て水を一杯飲む。
「朝からどこほっつきまわってんの?」
「あちこち挨拶まわりさ。もうおわかれだし。−−さぁ
て、皿、何枚割るかな」
「私が皿を割る?、馬鹿にしないの。−−今のうち遊ん
どかないと夜は勉強させられるぞ」
「みいんな学校行ってるんだ」とか言いながら、ニーノ
は外へ出て行った。
ところが、それから十分としないうちにニーノは大ニ
ュースと一緒に帰って来た。ソフィアは割れた皿を片付
けながら、その声を聞いた。
G
[庭に帰る]